
日の出が遅くなりましたね [令和7年9月24日] | |
秋のお彼岸も中日を過ぎて、朝拝に御殿へ向かうに社務所の玄関を出ると、涼しいというか少し寒く感じる今朝でした。 今日は出張だったのでいつもより早めに起床した宮司。その分、朝拝の時間も早くなりましたが、境内の木々の隙間から見える朝日が真夏より東に見えました。 とうの昔に夏至を過ぎているので、日が短くなるのは当たり前ですが、秋の訪れとうかお祭りが近くなっているというか、少しく寂しさを感じるのです。 今年の御例祭は10月10〜12日が大祭式と大神輿渡御、そして付け祭りである山車と御神酒所の曳き廻しが行われます。 麻賀多神社としては本来の例祭日である14〜16日も御例祭体制となっておりまして、今年はロングランバージョンのお祭り。 そのお祭りの時期は、昼間と夜の寒暖差が今よりも広く、昼間にかいた汗が夜風で一気に冷えて、お祭り後に風邪をひく原因となっております。 今年もそのような話を、お祭りのお疲れ様会である「花流し」で聞くのかなぁと思っておりまして、宮司や智勇権禰宜がその中に入らない様に気をつけたく思っております。 でもね、風邪って自分で気をつけてもそれには限界がありまして、祭典後の直会という大事なアルコール消毒をしませんとと、言い訳がましくそちらも楽しみにしております。 とは言うもののお陰様なのか、以前よりもオササの量も減ってきまして、朝餉が美味しい生活。これも風邪予防になっているかな。 今日の出張の様子は明日の七峯に書くと致しまして、宮司が乗車した千葉行きの各駅停車は成田駅を発車。佐倉までは2駅です。 |
|
時間を見つけて紙垂作り [令和7年9月23日] | |
昨日に自民党総裁選が告示されたわけですが、マスコミと言いますかオールドメディアの偏向報道がまあ酷い。 小泉進次郎もろ推しの高市早苗つぶしを全面に出しておりますね。それも政治ジャーナリストの田崎史郎氏を各局が順番に呼んで、同じ事を聞いて同じ事を話して貰う構造。 視聴者ってそれほど馬鹿じゃないし、自民党員なら投票権があるのですから尚更吟味をするんですよ。 そんな事はどこ吹く風で、石破総理は国連総会出席のためにアメリカに出発。総会で演説をする意向らしいですが、余計なことは言わないで帰ってきて欲しいですね。 今日は秋分の日。秋彼岸の中日ですね。天高く馬肥ゆる秋を地で行く良いお天気ですので、お墓参りに出掛けた方も多いのではないでしょうか。 皇室では宮中三殿において秋季皇霊祭と秋季神殿祭が齋行され、歴代の天皇と主な皇族方の御霊なごめと神恩に感謝を致します。 天皇陛下は黄櫨染御袍をお召しになり、秋篠宮皇嗣殿下は黄丹の御袍、同妃殿下は髪型は御垂髪(おすべらかし)で十二単を着装されます。 十二単は俗称で、正式には「五衣・唐衣・裳」(いつつぎぬ・からぎぬ・も)と呼ぶのですが、この呼称は解説者が説明をするときに使われる事が多いので、普段は十二単で良いと思います。 今日の祭典には先日に成年式を済まされた悠仁親王殿下が、成年皇族として始めて宮中祭祀に参列をされました。 今後は学業に差し障りの無い限りに参列をされるそうで、その積み重ねにより天皇は祈りと共にあるという事を実感されることでしょう。 世間的には秋分の日という祝日ですね。彼岸中は余りご祈祷は有りませんで、地元の方と合わせて観光で来倉され方の姿が見られました。 御例祭の打ち合わせで大年番が来社したり、発注していた提灯が届いたり、なんだかんだで一日中お祭りの準備をしていた気がします。 それらの隙間時間を使い、これもお祭りに使うのですが、注連縄に下げる紙垂を奉製しました。 この前も紙垂の奉製をしましたが、今回は少し小振りの中型サイズを30枚くらいでしょうか、事前に準備をしていたので45分くらいで完成しました。 これで大体、お祭りに使う紙垂類は出来上がったと思いますが、再度確認をしませんとね。 覚えている限りですが、残すは田町愛宕神社の御神酒所(曳き廻し屋台)に掲げる大幣束1体の奉製のみだと思います。 今から奉製してもいいのですが、かなり大きくて現社務所には置いておくスペースがない。 10月4日の土曜日に、神社石垣上へ高張提灯を掲げる作業があり田町の氏子さんも参加するので、それまでに奉製をする事に致しましょう。 そうそう、宮中祭祀の多くには内閣総理大臣が参列を致します。首相官邸のSNSにはその様子がアップされるのですが、今日のをチェックすると政府専用機に搭乗する姿が載っておりました。 フォロアー数52万人もいるのに、「良いね」などの反応は500前後。それも「悪いね」が半分も締めているって政府広報担当もやっていられないでしょうね。 次の総理はそういう方ではない事を願いつつ、本日に七峯はここまで。最後までお付き合いを頂きありがとうございました。 |
|
安全壁が取れました [令和7年9月22日] | |
今日の朝刊には自民党総裁選告示の共に、昨日発災1年をむかえた奥能登豪雨の慰霊の様子が取り上げられていました。 麻賀多神社では能登半島地震と奥能登豪雨の義捐金活動を現在も継続しており、先月には宮司が輪島市の重蔵神社へ神道政治連盟千葉県本部の一員として、災害復興支援に入りました。 こう書くとそちらの事情に凄く詳しいように思われますが、豪雨で亡くなった方、特に毎日安否の報道がなされていた当時14歳の喜三翼音さんの名前を記事に見たとき、無事を祈っていた自分でも時がその名前を忘れさせてしまったのかと、悲しくなりました。 平成23年(2011)に発災した東日本大震災では、未だに2520名の方が行方不明となっています。 ご家族はどんな気持ちで生活をされているのか。若しかしたら何もなかったように玄関から帰ってくるのでは、との思いが有るのではないでしょうか。 今日から始まった自民党総裁選。少数与党なので総裁=総理となるか解りませんが、国土強靱化も確りと議論をして欲しいです。 境内で建設中の新社務所も多くの職人さん達が入って、この半月ほどで随分と工事も進んできました。 一部外壁を除いて外見はほぼ完成形となり、内装工事は天上から壁面に移ってきたかな。床はその後となります。 今日は新社務所を囲っている白い安全壁が撤去となり、その全景が見えるようになりました。 宮司や工事関係者は当然の如く構想から設計、何枚もの姿図や平面図を舐めるように見ているので完成形がどうなるか知っておりますが、それでも安全壁が撮れた姿を見て、「これは凄い」と溜息をつきました。 神社の東側を通る側道からもその姿を見ることが出来、下校中の小学生だったかな、「凄い格好いいのが見えるよ!!」と大騒ぎをしていました。 建築物の定めとして、竣工が予定より遅れるというのが通となっている感がありますが、建設が始まってから予定していた今月末の仮竣工はあくまでも仮であって、10月の御例祭に一部供用が出来れば十分。 本竣工は来年3月末で、竣工式は大型連休後となる予定です。その準備もしなきゃ・・・ 今日は午後3時から工事現場事務所で施主打ち合わせがあり、工事の進捗状況とスケジュールのレクチャーが有りました。 なんでも今現在、コンクリート会社が需要過多で大変なことになっており、その手配が難航していると。 お陰様でどうにか決まったとの事ですが、流行病や物価急騰でストップしていた建設関連が、一斉に動いている証しでもありますね。 今週末から来週に掛けて、新社務所前と稲荷参道、そして幼稚園側道に通じるスロープにコンクリートが流されます。 ここを来月5日、岩渕薬品株式会社佐倉営業所に預かって頂いている大神輿が、長谷川木材のトラックに載って境内に帰って来ます。 ワクワクとドキドキが交差する、いや今から交差し続けている宮司。少し落ち着こうとは思っているのですがね・笑 |
|
神政連台湾研修・3 [令和7年9月21日] | |
昨年能登半島を襲った大水害から一年が経ちました。その前の大地震の被害と合せて、未だ復旧に至らない地域もあります。 麻賀多神社では昨年1月2日より能登半島復興への義捐金活動を始めて、現在も継続中です。 お預かりした義捐金は、震災直後は食糧などの支援物資に。その後は被災した神社への寄付と物品の送付に活用させて頂いております。 復興には長い年月が掛かると思われます。皆さんにはこれからもお力添えを賜りますよう、よろしくお願いを致します。 3回にわたってお送りしてきた神政連台湾研修の特集、というかご報告も、今回で納めとなります。 ややこしい時系列にお付き合いを頂き、本当にありがとうございます。頭の中を9月17日の渡台初日に切り替えまして始り始り〜 神道政治連盟千葉県本部の会員10名を乗せた日本航空便は成田空港を離陸。4時間弱で台北桃園空港に到着しました。 空港近くで昼餉を頂き、台湾高速鉄道桃園駅から一路、台湾第2の都市で港町の高雄に向かいます。 台湾高速鉄道、日本では台湾新幹線と呼ばれていますが、現地で新幹線と言っても通じませんで、略称は高鉄になりますので乗車する際は駅でこの文字を探してみて下さい。 台湾高鉄は車両は日本製で、東海道新幹線700系と同型。非常口が多く設けられており、有事の際に備えているように感じます。 来年には新型車両として東海道新幹線の最新型であるN700系Sと同型が導入される予定になっています。 約1時間40分で高雄(左営)に到着。ここから専用バスで向かったのが紅毛港保安堂です。 紅毛とはオランダ人を表わすそうで、オランダ人がいた港町という意味。 ただ、今の鎮座地は内陸部でして、港の拡張やコンビナード建設で集団移転をしたそうで、周りには新しめの廟や宮、そして寺院が散見されます。 紅毛港保安堂、七峯をお読みの皆さんには聞き覚えのある名称ですね。 昨年8月に宮司と禰宜画伯が訪れたところで、台湾南部のバシー海峡で沈没した日本海軍駆逐艦蓬(第三十八号哨戒艇)の乗組員146名をお祀りしています。 詳しくは下記HPをご覧頂きまして、これだけでも日本と縁のある保安堂なのですが、安倍晋三元総理が述べた「台湾有事は日本有事」。 そして流行病や中共による悪意有る輸入阻止に対して台湾に差し伸べた友好の証しなど、いつの日からか紅毛港保安堂には安倍元総理を慕う台湾の人々が多く集うようになりました。 そしてまさかの暗殺というかたちで、安倍元総理がこの世を去る事になったその日も、保安堂には3,000人もの人々が集まり、その死を悼んだのです。 昨年お参りした際には境内に元総理の銅像と「台湾加油」(台湾頑張れ)が揮毫された石碑が建ち、ご案内頂いた元海上自衛官の高木義さんから「来年には保安堂前に安倍さんを偲ぶ施設が出来ます」と話されました。 それから約13ヶ月が経ち、到着してビックリ。先ず目に入ったのは丹塗りの立派な鳥居が建ち、台湾には珍しい青々とした芝生の広場が出来上がっておりました。 そこには高市早苗代議士の揮毫で「安倍記念公園」とあり、昭恵夫人の筆で「日本有事 就是 台湾有事」の石碑も。 これだけ見ても、安倍元総理が多くの台湾人に愛されていたのかが解ります。 30分の滞在を予定していましたが、あっという間に1時間が経ち、名取り惜しくもホテルへと出発したのです。 なんだか安倍さん特集みたいになりましたが、それだけ台湾では危機意識が強いというわけです。 そうそう、今日は安倍元総理の誕生日。台北の政治大学で「安倍晋三研究センター」の設立大会が開かれ、頼清徳総統や安倍昭恵夫人らが出席したとネットニュースにありました。 方や日本ではどうでしょう、SNSでは安倍元総理に対する誹謗中傷がまだ続き、暗殺を大笑いしていたと東京都議は立憲民主党から出馬して代議士になりました。 日本っていつの間にこんな国になってしまったんでしょうね。 日本国内だけでは見えないものがある、それを実感出来ただけでも、今回の台湾研修は価値のあるものだったと思います。 さて明日からは通常の七峯に戻ります。何を書こうかな。改めて本日も七峯にお付き合いを頂きありがとうございました。 ・紅毛港保安堂 http://www.hoando.blue/ |
|
神政連台湾研修・2 [令和7年9月20日] | |
昨夕、無事に帰国してJR佐倉駅近くで恒例の草鞋脱ぎ。今回の研修は兎に角ご飯が美味しくて、参加者の皆さんは喜んでおりましたが、和食を頂くと安心しますね。 渡台中に日本は随分と涼しくなっていたのにはビックリしました。若しかしたら台湾より日本の方が暑いんじゃないかと話してりましたので。 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもの。今日が彼岸の入りですので、ドンピシャの格言です。 今日の七峯は台湾研修の中日、18日の事を書きたいと思います。時系列を遡りますので、昨日のものを合せてどうぞ。 2日目の朝を迎えたのは台湾第2の都市である高雄。日本語読みだと「たかお」ですが、台湾では「カオシュン」と発音します。 この高雄という漢字は日本統治時代に付けられたもので、元は「打狗」と書いて「ターカオ」と発音していました。 打つ狗とはなかなかの文字でして、西本願寺のお坊さんがターカオの音を地元京都の地名からとったのが、現在の高雄となります。 終戦を迎えて大陸からやって来た中国国民党により、標準言語が日本語から北京語に変わり、北京語読みのカオシュンとなったわけです。 何ともう複雑というか、終戦を挟んだ変遷を地名で感じる事が出来ますね。 高雄の街を一望できるのが寿山。そこに明治43年(1910)に創建されたのが打狗金刀比羅神社。 讃岐の金比羅さんから御分霊を勧請した神社で、大正9年5月(1920)に皇族の能久親王が増祀され打狗神社に改称。同年12月に高雄神社と改められました。 こちらも戦後に高雄市忠烈祠となり、鳥居と狛犬、そして燈籠の一部が当時の遺構として残されています。 忠烈祠の建物は昭和48年(1973)に鉄筋コンクリートで建て替えられ、現在は経年劣化によりお参りもままならない状態に。 人影も少なく、というか見晴らしの良い展望台には観光客がいるのですが、忠烈祠は寂しい状態でした。 戦前に日本領だった台湾には、当然の如く日本人墓地が沢山有りました。台湾のお墓は丘に沿いに造られる事が多く、そこに台湾南部にあった日本人墓地から改葬されたご遺骨が納められています。 こちらは現在、公園として整備が進められており、忠烈祠よりもお参りが増えるんじゃないかと思われます。 お昼は点心を頂き、お腹も出来上がったところで台湾高速鉄道に乗車すること1時間40分で台湾の首都、台北に到着。 高雄が大阪のような人情味溢れる場所だとすると、台北は東京のようなビジネスチックな感がありますね。でも台湾風味が効いているのは同じです・笑 高鉄台湾駅からバスで圓山にある忠烈祠に移動し、忠烈祠の衛兵交代を見学しました。 この場所は戦前に台湾護国神社が鎮座しており、ご多分に漏れず中国国民党二より破壊されました。 台北の圓山、少し台湾に詳しい方ならピンとくると思いますが、蒋介石の妻である宋美齢が圓山大飯店がありまして、元元は台湾護国神社の境内になります。 なので神社関係者や保守陣営はこのホテルには宿泊をしない方が多いですし、今回の研修を企画する際にも旅行業者にはその点をお願いしたんですよ。 それはそれとして、衛兵の交代は空気がピンと張った感があり、殉国の御霊をお守りする大切さが伝わってきます。 日本で言えば靖国神社と性格は似ている場所で、左翼風情なんていませんし不敬な輩もいない。羨ましくもあり、情けなくもありました。 一日で台湾の南北、2ヶ所の忠烈祠を回ったことになりますが、国を代表する台北の忠烈祠は人の絶えることのない靖国神社のようで、高雄の忠烈祠は地方の護国神社にも見え、英霊への思いをどうやって世代に繋げていくか、その難しさは海を隔てても同じなんだと感じまして。 さて明日の七峯は出発した17日に遡ります。時系列を全く逆にした3日間の執り納めですので、どうぞお付き合いの程を。 |
|
神政連台湾研修・1 [令和7年9月19日] | |
今日の七峯も移動中の乗り物の中からお届けします。その乗り物とはいつもの東海道新幹線や総武線快速ではなく飛行機。 飛行機の搭乗は先月の能登支援に続いてで、今回は神道政治連盟千葉県本部主催の海外研修に幹事長として、禰宜画伯と共に参加をしており、帰国便の中からお送り致します。 神政連千葉県本部では、流行病前には3年に一度くらいの頻度で海外研修を行っておりました。 5年前の令和2年には終戦75年にあたり、フィリピンのレイテ島を訪問。日本陸軍佐倉57連隊が玉砕した同島リモン峠の慰霊碑を参拝し、日本人戦没者慰霊碑前にて慰霊祭を斎行致しました。 今回はそれ以来となる海外研修として終戦80年を迎えるにあたり、大東亜戦争開戦の詔勅にある東亜友好とその後について、台湾を訪れることに致しました。 題して『終戦80年・東亜友好の軌跡を台湾に訪ねる』。そのままのタイトルではありますが、幹事長として企画に携わるにあたり、一筆考えてみました。 旅程は2泊3日で、一昨日に日本航空便にて成田空港を出発。約4時間のフライトで台北桃園空港に到着。 そこから台湾高速鉄道に乗車して、桃園駅より台湾南部の高雄の玄関口左営まで1時間40分の鉄路を楽しみました。 と、ここまで書きましたが、内容の濃い3日間でしたので今日から数回に渡り、今回の研修旅行を時系列を遡る形でご紹介をしてみたいと思います。 なので、今日の七峯は本日の事を書いてみますと、帰国便は台北桃園空港を12時40分に離陸するので、海外フライトのチェックインは2時間前として逆算すると10時30分には空港に到着していなければなりません。 昨夜宿泊した台北のホテルから空港までは約50分。そのまま帰るだけでは勿体無いので、空港がある桃園市には昭和13年に鎮座した旧桃園神社があり、そちらを参拝をして空港入りをする事に。 戦前の台湾には約200の神社が鎮座していたといわれますが、その多くは戦後に中国大陸から入って来た蒋介石率いる中国国民党勢力により廃祀、そして破却をされました。 その中で奇跡的に社殿のほぼ全部が残ったのが桃園神社で、今は鳥居の笠木は撤去されていますが、戦後からは忠烈祠として国民党勢力で戦死した兵士と警察官や消防士などの殉職者を祀っています。 桃園神社時代の御祭神は天照皇大神・豊受大神・大国主命の三柱。上記の様に本殿にはお祀りが出来ないので、社務所を仮殿として御霊にお鎮まり頂き、祭典や御祈祷を行っています。 その桃園神社も社殿破却の危機が何度もありましたが、地元の方々の比類なき努力によりそれを逃れ、大規模修営を重ねつつ「桃園忠烈祠と神社文化園区」としてお参りが絶えない今となっています。 こちらには台湾人の神主さんもいて、宮司はSNSを通じて知り合いとなっていますが、なんと彼は今日本にいるという入れ替え状態に・笑 さて、一行を乗せた日本航空6884便は、まもなく成田空港に着陸しますので、本日の七峯はここまでとさせて頂きますね。 お出掛けはお家に着くまでが大事。佐倉に帰ったら無事な帰倉を感謝して草鞋脱ぎをしなきゃ🎵 |
|
サクラ咲ク農園さんより [令和7年9月18日] | |
自由民主党の総裁選挙、来週あたりに告示となるのでしょうか。出馬として5名の名が上がっており、その顔触れでほぼ固まったようですね。 いずれの方も去年の総裁選に出た事もあり、立憲民主党の野田代表は「敗者復活戦」と揶揄しましたが、先週行われた立憲の役員入れ替えでは悪魔の3年3ヶ月と呼ばれた民主党政権の顔触れと影が透けて見えて、野田さんってやっぱりセンスがないんだなぁと思った宮司です。 自民の方に話を戻しまするに、今日は林官房長官の出馬会見と高市前経済安保担当大臣の出馬表明がありました。 高市さんは明日に政策発表をするそうで、保守派の尖兵としてどのようなものを出すのか注目をしたいと思います。 過日のお話となりますが、酒々井町下岩橋のサクラ咲ク農園さんより新米のご奉納があり、奉納式と同農園さんの事業安全祈願祭を、智勇権禰宜斎主のもとに斎行を致しました。 農園さんのある下岩橋地区は佐倉藩領として、江戸時代に御用米を佐倉藩に納めており、現当主の相京当志さんは先祖達が紡いで来た米作りを誇りに、ご家族と一緒に農業に励まれています。 また酒々井町は名の通り水に恵まれたところで、良い米と良い水があれば、何が出来るかと言うとお酒。麻賀多神社の御神酒「甲子正宗」の醸造元である飯沼本家があるわけです。 サクラ咲ク農園で生産されるお米の品種はコシヒカリで、農園では「酒水米」と名付けて自家販売をしており、酒々井町のふるさと納税返礼品にも指定されているんですよ。 ご奉納頂いた新米「酒水米」は神事と祭事に神饌としてお供えし、お下がりを有り難く頂戴いたします。 なので、宮司家で頂くには今暫くの時間があるのですが、折角のお志なので次の月次祭(10月1日)に一部をお供えして、翌日のご飯に。 と思ったら、10月2日は金沢石浦神社の秋季例祭で宮司は献幣使として参向の予定だから、口に入るのはいつになる事やら。 ・サクラ咲ク農園 https://sakurasaku-farm.com/ |
|
同時進行で幣束折り [令和7年9月17日] | |
秋雨前線が日本海側から新潟、東北南部にかかってまた線状降水帯が発生しそうです。当該地区にお住まいの皆さん、どうぞお気をつけ下さいね。 地域的に稲刈りが行われていると思われます。稲は刈り入れ前に雨に濡れると倒伏したり、刈り取っても乾燥に時間が掛かりその際に米が割れてしまう恐れも。 今年の厳しい環境の下に、一年間一生懸命に育てたお米。そちらも無事であって貰いたい。東北の美味しいお米が多くの方に届きますように。 来月の御例祭の準備、そして新社務所の仮竣工を目の前に奉賛会事業も大詰めとなりまして、気ばかりせり始めている宮司です。 やる事が多いのは有り難いのですが、夏バテが抜けきれていないのか、それともよる年波のせいか体力がいまいち回復をしておりません。 それは呑み過ぎだからと言われそうですが、流行病以降はオササの量も随分と少なくなり、朝御飯が美味しい生活。それであれば健康なはずなんだけどなぁ自問自答をしてあります・笑 さて、そんな焦りもありつつですが、御例祭の準備と同時進行で11月末から頒布を始める年神様の幣束の奉製作業も行っております。 幣束は神様の依代(よりしろ)で神棚や台所の荒神様、またお庭にお祀りされているお稲荷様に納められ、場所によって月は違いますが年に一度の程度で交換をします。 生活環境の変化で、神棚や荒神様をお祀りする家庭が年々少なくなっていますが、形式に拘らずに先ずは神様と一緒に生活する所から始めてみても良いと思いますよ。 年神様に準備する幣束は約4500体。当然ながら一体一体手で折っていきますので、時間と手間がかなり掛かります。 長い時間その作業に携わっていると、大体の感覚で良い折り目と角度が付けられますが、新人の巫女さんにはかなり難しい作業でして、最初はどなたかが失敗したものを使って練習。 数をこなすのではなく、数を重ねて行くごとに綺麗な幣束へと仕上がっていくのです。ちょっと長めの道のりですね。 今年は少し遅れ気味ですが、宮司に就任した25年前は11月の半ばに夜鍋で奉製していたので、今のところは時間的余裕はありますね。 その余裕を保ちつつ、これから迎える御例祭と七五三詣の季節をしっかりと奉仕して年末年始に進みたいと思います。 |
|
秋祭り事前特集撮影 [令和7年9月16日] | |
宮司は株投資なるものをしてはおりませんが、石破総理辞任表明よりこの方、株価が上がっておりまして、今日に至っては日経平均株価が史上初の45,000円を突破したそうですね。 色んな理由は有るのでしょうけれど、下がるより上がった方が良いわけで、市場からも退場宣告がなされたという感じかな。 株をされている皆さんは儲かっておりますか?空売りで損などしていませんか?と見知ったようなことを書いたところで本題に参ります。 地元佐倉を本拠地として千葉県内にネットワークを広げているケーブルネット296。製椎名称は株式会社広域高速ネット296でして、佐倉市内と横断している国道296号線から命名をされた会社です。 ケーブルテレビ事業を通じて地元密着の話題を提供。各コンテンツも充実しており、宮司宅も加入をしております。 10月の御例祭を前に、毎年この時期には境内で秋祭り事前特集の撮影が行なわれ、佐倉の秋祭り実行委員会の山口勝廣会長がインタビューを受けているんですよ。 宮司はその様子を見ながら「会長、緊張しているな」とか、職員と話しているのですが、今回は久し振りにお声が掛かりまして、山口会長の前に撮影を行ないました。 その内容とは、現在建設を進めている新社務所についてで、建設に至った経緯や建物の特徴、そして竣工後の活用などの質問に答えさせて頂きました。 ものの数分のことなので、簡単な打ち合わせの後に直ぐに撮影に入りまして、約8分でクランクアップ。 その後は社務所にて新社務所建設奉賛会の打ち合わせがあり、岩渕琢磨奉賛会長と大詰めになった奉賛事業の情報交換を致しました。 多分その間に山口会長の撮影が行なわれていたものと思われ、奉賛会打ち合わせ終了時には撮影隊も撤収していました。 今回撮影したものは今月29日午後8時から放映の296ニュースの後半、特集枠として流れますので、296に加入の方はどうぞお楽しみに。 因みに御例祭の中日、10月11日夕刻には佐倉新町通り(城下町通り)を中心に、296で生中継がされます。 その際には昨年とお案じく大神輿が安置されている御旅所において、宮司がお祭りと大神輿の説明をする事になっております。 毎年のことなのですが、この段階で数社の御例祭を奉仕しているので、御神酒も入っている宮司。 これから生中継だというのに、御神酒を勧める悪い氏子さんの口車に今年こそ立ち向かおうと、無理ながら今は思っております。 ・ケーブルネット296 https://www.catv296.co.jp/ |
|
弥勒の八幡様例祭 [令和7年9月15日] | |
三連休の仕舞い日。皆さんはどちらかへお出掛けになりましたか? 高速道路は軒並みに混雑しているようで、運転手の皆さんはお疲れでしょうが、どうぞご無事に家路へお着き下さいね。 夕方頃でしょうか宮司のスマートフォンには、東海道新幹線が山陽新幹線内での大雨の影響により遅れが出ているとの表示がありました。 新幹線の駅で下車する方は良いとして、そこから乗り換えなど時間に追われている方も多いと思います。 ましてやローカル線ともなると運転本数も少なくなりますので、ヤキモキしますよね。こちらもご無事にお戻りを頂きたく思います。 この連休中、佐倉は比較的お天気に恵まれまれ、神社にお参りの方も多くいらっしゃいました。 祈祷番と巫女さんの陣頭指揮を執った智勇権禰宜はお疲れ様でして、夕餉のおかずは大好物の秋刀魚の塩焼きだそうです。ご褒美だね・微笑 日本各地を見ると今週末、特に今日15日を挟んでお祭りが斎行された地域が多かったみたいですね。 千葉県内でも館山のやわたんまち、勝浦大漁祭り、上総十三社祭りなどなど、時系列は気にしないで頂きたいですが、この他にも秋の御例祭が沢山齋行されました。 宮司の所管社でも、弥勒町八幡神社が昨日14日が御例祭。午後3時から大祭式を齋行し、続いて御神輿に御霊入れを致しました。 弥勒の八幡様はここで祭典が仕舞いませんで、境外社の子安神社と道祖神社でも祝詞奏上と玉串奉奠を行ないます。 直ぐ近くですので徒歩で移動するのですが、例年は西日がキツく汗だくになるところ、昨日は薄曇りだったので「これはいいや!!」と出発したところ、気温はそれほどでもないのに湿度が高いために参列者一同が大汗をかくことになるとは。 直会は近くの川瀬屋さんの涼しい座敷で行なわれ、弥勒らしい賑やかな時間を過ごさせて頂きました。 因みに今日15日は御神輿渡御と縁日が行なわれ、弥勒のお囃子連中の演奏も相まって、昨日の直会よりも賑やかだったのではないかと思います。 さて、八幡神社の御例祭は9月15日に行なわれるところが多いってご存じですか? これは八幡神社の御本社である大分の宇佐神宮の仲秋祭(例祭相当)が本暦(旧暦)の8月15日に行なわれていたことによります。 宇佐神宮では10月6日(現在はスポーツの日を挟んだ3日間)に仲秋祭を行なっていますが、第一の御分社である京都の石清水八幡宮は9月15日が例祭日になります。 本暦8月15日は十五夜の満月でして、この日に放生会(ほうじょうえ)という儀式を行なったのが仲秋祭の始り。 明治5年に改暦が行なわれ、本暦8月15日を一ヶ月遅らせて9月15日にしたという訳なんです。 しかし乍ら、10月に仲秋祭とはという疑問が残るわけですが、それは月の運行を基準とした本暦をそのまま太陽の運行を基準とした新暦に合せると十五夜は9月下旬から10月に入って来るからなんです。 明治政府は例祭日が毎年変わることを是としなかったので、八幡神社の多くが9月15日を例祭日として固定しました。 ところがですねぇ、気骨な神社も有りまして、その1社が市原市八幡宿に鎮座する飯香岡八幡宮。 こちらは3月15日が春季例祭で、対となる秋季例祭はなんと本暦8月15日に定められており、今年は10月6日が例祭日となります。 ここ数年、宮司が献幣使として参向をしておりますが、今年は麻賀多神社の例祭日前4日にあたり時間調整がまあ大変・笑 平澤宮司さんは「良いの準備してあるから電車で来なよ」と言ってくれておりますが、言の葉に甘えますと佐倉に戻ってから仕事にならない。 かと言って、折角のお誘いを無碍にするのも失礼だし、さてどうしよう・・・苦笑 もう少しよく考えてからお返事をすることに致しまして、今日も七峯をお読み頂きありがとうございました。 明日からも気持ち良く頑張りましょうね。その為にも軽く晩酌開始!! |
|