匝瑳市野手というところに内裏神社という塚があります。お祀りされているのは耳面刀自妃という方。たぶん皆さんはご存じないと思われます。 どのようなお方かというと、弘文天皇(大友皇子)の妃で藤原鎌足の娘。壬申の乱の際に大津(今の滋賀県大津市)より鎌足の生誕地、常陸国鹿島に逃れる途中、野手の地にてお亡くなりになった方です。 最初に葬られたのが野手で、その後幾度か改葬され、現在は旭市に塚と社殿のある神社が有ります。 実はこの野手の塚と佐倉は縁がありまして、旧佐倉藩士で、当時の八日市場警察署長を務めた廣田彬氏が、荒れるにまかせていた塚を再興し、記念碑を建立しております。 この度、その子孫の廣田正文氏と私も会員である佐倉ライオンズクラブで、記念碑周辺を再整備致しました。 今日はその竣工報告際。本来ならば地元の神職さんに祭典依頼をするところですが、お聞きしましたら普段は祭典を行っていないとかで、佐倉ライオンズクラブでの同席という御縁を頂き、奉仕をお受けすることとなりました。 祭典は廣田氏を始めとするライオンズクラブ会員9名が参列。祝詞奏上の後、玉串奉奠をし、耳面刀自妃の御霊慰めと彬氏の顕彰を祈念しました。 日程や内容など、時間がない中での準備となりましたが、鎮座の経緯や歴史をなるべく調べ祝詞を作成しました。まだまだ知らないことが沢山あるものだと再認識した次第です。
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