七峯の丘から

神社の周りぶらりしませんか!? [令和1年5月14日]

明治天皇行幸祈念碑

ひよどり坂
 今月10日の七峯にも書きましたが、宮司の日課に生き狛犬達との散歩があります。
 大体コースは神社近くの宮小路周辺と決まっているのですが、少し足を伸ばしてみると佐倉城址公園や武家屋敷付近に出ます。
 まあこのあたりも神社周辺と言えばその通りなのですが、当社の生き狛犬はチワワですので、そのサイズにしてみると結構な大冒険となる距離なのです。
 佐倉城址公園は神社より西方に約400メートルで、文字通り明治の廃城まで佐倉藩の中枢でありました。
 明治以降は城址全体が陸軍の施設となり、近衛連隊を始めいくつかの連隊が本拠地として駐屯し、そのなかで一番有名なのは通称佐倉57連隊ですね。
 この陸軍施設を作るに当たって佐倉城関係の建造物は全て破却され、礎石などは兵舎などの基礎に使われる事もあったんです。
 佐倉は江戸防御の要として歴代の佐倉藩主は親藩や譜代の大名がなりました。
 それを引き継いだのが上記の陸軍関係ですので、江戸から東京にその名が変わっても帝都防衛の要は変わりませんでした。
 その事も有り、現在の佐倉城址公園内には明治天皇や後に大正天皇となる皇太子殿下行啓の記念碑が建っております。
 ここまで歩いて歴博方面に抜けても良いのですが、なんせチワワの足ですので帰りにへばってしまうと抱っこすることになるので少し戻って市民体育館脇を下り、ひよどり坂を上ることに致しましょう。
 ひよどり坂は竹林を抜けるような坂道で、今にもお武家さんが出てきそうな雰囲気を醸し出しています。
 撮影で使われることも多く、平日でもカメラを持った人の姿を多く見ることが出来ます。今に言う「インスタ映え」ですね。
 この坂を上がったところが大聖院。佐倉七福神では大黒天と布袋尊をお祀りしています。
 大聖院から東に少し進むと武家屋敷。この通りの両和解に武家屋敷が並んでいたのですが、現在は3棟が佐倉市の管理の下に一般公開されています。
 その道をまっすぐに進み突き当たりを左折。また直進でこの両脇も武家屋敷跡。土塁にその面影を見ることが出来ます。
 少し広い通りに出て左折から道なりに進んでいくと神社の前に到着。
 神社を出発して城址公園から記念碑を見てひよどり坂。大聖院から武家屋敷を抜け神社に戻ってくるまでゆっくり歩いて40分。
 ですが、たかが40分といえども歴史がギュッと詰まっているのがお判りになると思います。
 佐倉はこういった所が沢山有るんですよ。生き狛犬達との散歩がてら、徐々にアップしていきたいとおもいます。