令和改元での御朱印ラッシュも落ち着きを見せるようになりましたが、週末はそれなりに多くの朱印帳を預かります。 今日は大安の日曜日でしたので、権禰宜達が御祈祷の合間にせっせと奉書をしておりました。 宮司は午前と午後に地鎮祭の出向。共に30代後半の施主さんでして、奥さんや子供達の参列もあり、穏やかな中に奉仕が出来ました。 世の中では5月第2日曜日は「母の日」として認知されています。 そのルーツをひもとくと、アメリカの南北戦争時に負傷した兵士の看護にあたったアン・ジャービスの娘アンナ・ジャービスが、亡き母親を偲び母アンが日曜学校の教師をしていた教会で記念会を持ったのが始まりだそうです。 そのとき贈られたのが白いカーネーション。 この風習が日本に入ってきて、やはりキリスト教会から広まっていったとの事です。 ここまで読んで何か疑問に思うことはございませんか? そうなんです、母の日のカーネーションと言えば「赤」が普通なのですが、最初は「白」だったのです。 これには理由がありまして、亡き母を偲んでという件に注目して下さい。 亡くなった母に対しては「白」を。存命の方には「赤」のカーネーションを贈るのだそうです。 宮司が子供の頃は母の日が近づくと小学校で紙製の赤いカーネーションに「お母さんありがとう」と短冊が付けてあるものを配られました。 それを胸に付けて帰宅するのが少し恥ずかしかったですが、その姿を母親に見せるだけで何か嬉しかった記憶があります。 この風習も母親がいない家庭への配慮云々とかで無くなってしまいましたが、良い時代だった気がします。 お母さんありがとう、そう言う前に生家の母よりお花のお礼で電話がありました。なんともこそばゆいですね・笑
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