七峯の丘から

長岡中島戊辰戦争顕彰碑 [令和1年11月8日]
長岡はどんよりとした雲間から時折日射しと小雨がぱらつく不思議な朝を迎えました。
昨夕、上越新幹線にて長岡入りし駅近くのニューオータニ長岡にチェックイン。今日の祭典を控えてゆっくり過ごしました。
今回の長岡入りは当社の崇敬者でエヌテーアクアツインズ社長の渡辺泰崇さんの依頼を頂いてのもの。
エヌテーアクアツインズは航空会社や空港関係から出される制服や毛布などのクリーニングを行なっており、佐倉にも事業所を開設。当社にて毎正月に安全祈願を奉仕させて頂いております。
長岡が創業地で渡辺社長のご自宅も有ることから、幾度となく長岡に出向し祭典奉仕をさせて頂きました。
今回は渡辺家で守護りしている戊辰戦争受難者顕彰碑の敷地整備にあたり、渡辺社長始めご家族、会社や工事関係者参列のもと工事安全と戊辰の役に倒れられた方々の御霊慰めの祭典を斎行しました。
中島の地は慶応4年5月に新政府軍が長岡城攻撃のため信濃川を渡り長岡藩士との戦が始まった激戦の地。
中島地区は草木一本焼き尽くされ、その後には新政府軍と長岡藩士の夥しい亡骸が転がっていたそうです。
その後、新政府軍は長岡城を占領。中島地区と同じように長岡のご城下は一面の焼け野原になりました。
賊軍の汚名を着せられても長岡の人達は両軍分け隔てなく丁重に弔い、中島地区にあっては「明治戊辰戦争東西軍の墓」として渡辺家わ近隣の家々で祀ってきました。
そこから復興し新潟県下第二の都市として発展してきましたが、先の大戦の長岡大空襲で再び焦土と化し、その際に亡くなった方々の御霊を慰めるために始まったのが日本三大花火大会の長岡まつり花火大会です。
どのような形や状況であっても亡くなった方々の御霊を大切にする。歴代藩主の牧野家、戊辰戦争時の河井継之助や米百俵の小林虎三郎を代表とする長岡藩士の志を今に繋げているように思えます。
祭典後の直会は長岡名物のへぎ蕎麦。それを頂きながら歴史に翻弄された長岡藩と我が佐倉藩の事を交え暫し懇談しました。
より良い国を作るために日本人同士で戦わなければいけなかった時代。新政府側であろうが幕府側であろうがその犠牲を無にしてはなりません。
令和始めの年、今日のような祭典を奉仕出来たことに感謝して佐倉に戻ります。