七峯の丘から

震災復興道半ば [令和2年5月22日]

お渡しした祠


 昼前には上がると言っていた雨。結局終日となりました。このまま梅雨に入ってしまったらどうしようと不安もよぎります。
 今朝方、東京下谷神社の阿部明徳宮司より携帯電話に入電があり、今から神社を出発して当社に向かう由、連絡がありました。
 阿部先輩とは神青協一都七県協議会などでもお世話になりつつ、先輩が行なっている東日本大震災による被災神社への復旧復興支援活動に多少のお手伝いをさせて頂いてきました。
 阿部先輩は震災直後から福島県を中心に津波で被害を受けた神社の復旧支援に携わり、流失した社殿跡に仮宮や鳥居を立てたり、地域住民の心のよりどころである氏神様の存続に努められてきました。
 当社に於いても建て替えや統廃祠などで使われなくなった廷内社を引き取り、状態を見て修繕。燈籠などと共に送らせて頂きました。
 今回の来社も使われなくなった廷内社を引き取るためで、阿部先輩がSNSで発信された記事に対して宮司より「丁度良い大きさのお社があります」とご連絡を入れさせて頂きました。
 記事の内容は福島県の海沿いの地域で地元の人達がお参りしていた小さな祠が津波で流されそのままの状態になっているとのこと。
 その場所は福島第一原子力発電所の廃炉作業で出されたものの中間貯蔵施設場所になっているそうで現在住民はおりませんが、当時小学1年生だった娘さんを探すためにお父さんが毎日活動をしている所で、その方が中心となって再建したいと。
 東日本大震災より9年。上記の様に仮宮すら出来ていないお社も有る中、阿部先輩が携わった仮宮でも相当な傷みが出てきているそうです。
 発災当時は物資の不足、そして何より緊急性が求められていたので、仮宮の土台などは木製のもので代用していいました。
 木製ですから当然朽ちてくるわけで、復旧から復興へと動く中で未だ仮宮のままの場所も多く、阿部先輩曰く「復興の過程の中で自力で再建が出来る状態になると思っていたんだが」と。
 阿部先輩の発信力と神職のネットワークで既に4つの祠の確保に目処がついたそうです。
 この流行病の影響で今月行なわれた下谷神社の御例祭も2年に一度の本社神輿の渡御が中止。また提灯の献灯やお囃子の奉納も中止ととても寂しかったとのこと。
 しかしながらそこに止まる事なく本社神輿の渡御は来年に移すなどの対策を立て、ライフワークの震災復興活動に進まれる姿、宮司もそうありたいと思う大先輩です。

下谷神社 http://shitayajinja.or.jp/