七峯の丘から

玉蜀黍ご奉納 [令和3年6月12日]


 本日も良い天気。ご祈祷の数は少ないものの、多くのご参拝を戴きました。
 宮司は午前中にユーカリが丘の高層マンションで引っ越しに伴う神棚の昇神祭を奉仕しました。
 久しぶりの高層マンションでして、中の吹き抜けから聞こえる風の音は毎度の事ながら少し怖いです・笑
 さて、写真家で当社の四季を記録戴いている花澤信幸先生から横芝光町産の玉蜀黍を今年もご奉納頂きました。
 花澤先生には折りに付け季節のものを奉納下さり、また自身で耕作された作物も各種頂戴します。
 写真も作物も拘りの有る方は違うなと、いつも禰宜画伯と話しているのですが、本当にありがたく思います。
 今回ご奉納頂いた玉蜀黍、なんて読むか判りますか?
 皆さん本文を見る前に画像が目に入っていると思いますので、その通り見たままのとうもろこしでございます。
 とうもろこしが日本へ入ってきたのは安土桃山時代なので、今から450年ほど前。
 織田信長の全盛期にポルトガルやスペインとの南蛮貿易船でもたらされました。
 玉蜀黍とは「玉」は美しいと言う意味で、「蜀」とは外国、異国のこと。「黍」はそのままキビでして、外国からもたらされた美しい玉の黍という事になりますね。
 日本へ入ってきた当時の玉蜀黍は今で言う所の飼料用であったらしく、そのまま焼くか粉にしてから食していたようです。
 因みに玉蜀黍は当時、「なんばんんきび」と読まれており、とうもろこしと読むようになったのは後世のこと。
 今のようなスイートコーンは明治以降で北海道の開拓使が大きな役割を果たしました。
 玉蜀黍はイネ科の植物なので稲と同じような形の花が咲きます。
 花澤先生とは折りに付け祭り談義に花を咲かせてきました。
 気兼ねなく話し込める時が早く来ることを願わずにはいられません。
 花澤信幸先生、これからもよろしくお願い致します。