七峯の丘から

田町五月祭と御軸 [令和5年5月24日]




 清々しい気が流れている佐倉です。正しく5月の五月晴れとい言ったところでしょうか。
 朝のお参りも、いつもより気持ちよく出来た気がしている宮司でございます。
 このところ、色んな物事が流行病前の状態に戻って来たと前にも書きましたが、この3年半の状態に慣れてしまった身体をどう戻すのか。
 まあ、皆さんもそうだとは思いますが、身体を慣らしていかないとと思いつつも、ちょっとしんどいですね。
 さて、今日は兼務で有る田町愛宕神社の五月祭。祝詞の中にも「光満る」や「風薫る」などの5月にまつわる言の葉が続き、冒頭に書きましたが、今日は正しく五月晴れそのものの中でご奉仕が叶いました。
 田町の愛宕様は元々、佐倉城田町門、現在の国立歴史民俗博物館の本館へ向かうエントランスス道の左側に鎮座しておりましたが、明治期初頭に近衛連隊が佐倉城址に設置される事になり、政府の施策によって現地に強制遷座となりました。
 なので、麻賀多神社と同じく佐倉藩とも繋がりが深く、愛宕神社と共に強制遷座となった五社神社(現在は愛宕神社に合祀)には、佐倉藩主である堀田正愛公筆の社号軸があります。
 この御軸は年3回の大祭。1月24日・5月24日・9月24日(現在は10月の当社御例祭と合同)に拝殿に掲げられ、藩政時代に佐倉のお殿様がお参りされた事を偲ばせます。
 この様なお軸は隣の海隣寺町に鎮座する熊野神社にも存在して、当社と併せて歴代藩主のご崇敬が篤かったことを表わしていますね。
 今日は祭典納め近くに女性3名のお参りが有りました。
 何でも、今朝の夢で佐倉市役所近くの神社にお参りにとのお告げが有ったそうで、市役所付近を歩いて回っていたところ、夢に出てきた神社とそっくりな神社と!
 ご縁なのか、たまたまなのかは定かではありませんが、年3回の大祭日に当ったというのも有り難く存じます。