七峯の丘から

天保の手水盤に桜 [令和6年4月2日]


 本来であれば今日までの開催だった「佐倉城址のさくら」なんですが、余りにも桜が咲いておらず、この7日(日曜日)まで延長となりました。
 九州で満開の地域が出て来たようですが、千葉県はまだまだでして、神社前の佐倉市役所宮小路倉庫の染井吉野も数輪、本当に数えるほどしか咲いておりません。
 来週あたりにはそれぞれの学校で入学式が行なわれます。入学式に桜が咲いているのって何年ぶりになるのかなぁ。
 宮司が幼少のみぎりは桜と言えば4月が定番でしたが、今やすっかり3月ですもんね。
 遅い遅いと言いますが、今年が普通に戻っただけ?と思いたいです。
 一昨日の七峯にも書きましたが、境内のそこかしこに禰宜画伯が生けた桜の枝が、ほぼ満開を迎えております。
 一番賑やかなのが、社務所前の旧手水盤でして、これでもかって言うくらいに桜の枝が生けてございます。
 この桜、京成佐倉駅近くのセイミヤ花店さんより仕入れておりまして、発注の際に禰宜画伯がその数をめい一杯にしたために、生けきれなかった枝達を禰宜画伯のセンスで生けたのです。
 ちょっと「芸術は爆発だ!!」的要素が垣間見られますが、そこは禰宜画伯らしくて宜しいかと・笑
 この旧手水盤は天保12年(1841)の5月に奉納された物で、現在の手水盤が奉納された昭和15年(1940)迄、使われてきました。
 この年の出来事としては、初代総理大臣の伊藤博文が誕生しており、幕府では水野忠邦が天保の改革を行なっております。
 天保の改革についてはウィキペディアあたりを参照願うとして、遠山の金さんで知られる遠山景元が江戸北町奉行を務めていた時代でもあります。
 金さんと言えば身体に入った桜吹雪の入れ墨が有名ですよね。
 実際にはどうだったか、諸説が沢山有るのですが、テレビで見るようなおしらすでの入れ墨を見せることはなかったようで、夏でも長袖を着用していたと。
 遠山の金さん、高橋英樹さんや杉良太郎さんが好演しましたね。
 歌舞伎でも尾上菊五郎さんが「遠山桜天保日記」を演じております。久し振りに見たくなったな遠山桜を。