七峯の丘から

桐に鳳凰 [令和6年4月27日]

「東の脇障子」

「桐紋の数々」
 大型連休が始まりましたね。午後から帰幽一年祭の御奉仕が有り、隣の八千代市まで出向きましたが、道路が結構渋滞しておりました。
 この時期は普段運転をしない方がハンドルを握ることも多いので、より安全運転を心掛けたいですね。
 今日から2日間の日程で、宮司が兼務している52社の責任役員が当社社務所に参集して、千葉県庁に提出する書類の作成を行ないます。この件についてはまた明日書きますね。
 今日は御本殿の彫刻、脇障子「桐と鳳凰」について、ちょっとお話ししたいと思います。
 脇障子とは神社建築に多く見られるもので、主に本殿の周りを囲む縁の行き止まり部分に付けられます。
 板目の場合もあれば、彫刻を施したものなどがあり、その彫刻の題材も様々です。
 当社の御本殿にも東西2枚の脇障子彫刻が有り、今回は東側にある「桐と鳳凰」です。
 桐と言えば箪笥を思い出しますが、今は目にする機会も少なくなりましたね。
 昔は女の子が生まれると庭に桐を植えて、いずれはその桐で作った箪笥を嫁入り道具にするなんて事も有りました。
 そもそも、昨今の住宅はクローゼットがあり箪笥そのものが不要な感じです。
 また、箪笥に出来るほど大きな桐を、庭に植えることが出来る家は、田舎でなければ無理でしょうね。
 その桐は瑞兆とされる鳳凰が止る木とされているんです。
 古来中国では聖天子と言われる、徳のある優れた皇帝が即位すると鳳凰が現れ、桐に止る。なので桐は、神聖視されてきた歴史があります。
 これが日本にも伝わり、平安時代ぐらいから高貴な方の装束や紋に桐や鳳凰が使われるようになりました。
 時代が下がると、天皇や朝廷より家臣に桐紋が下賜されるようになり、下賜された者が使用するようになりました。
 有名なところでは豊臣秀吉が豊臣家の紋として使用しており、その時代を取り上げた作品で見ることが出来ますね。
 桐紋は大別すると2つになりまして、葉の上にある花の数が5・7・5と3・5・3の数になります。
 前者を五七の桐、後者を五三の桐と言いまして、皇室や政府が使うのが五七で、一般的に用いられるのが五三と。
 いずれにしても例外というのは存在しますので、悪しからずでお願い致します。
 殆ど桐の話になってしまいましたが、実際の彫刻を是非ご覧頂きたいと思います。立派であり、凄い格好いいですから!!