七峯の丘から

神輿倉解体準備 [令和6年7月8日]

「残りを全部出し」

「孔雀と書いてありますね」

「戦前の神宮大麻木箱」
 2つの知事選、大方の予想に同じ結果となりました。勝っても負けても恨みっこ無しが選挙。皆さんお疲れ様でした。
 野党の党首経験者が都知事選で3位になりましたが、これもある意味予想通りで、旧来のマスコミは大騒ぎをしていますが、それはお互い既得権益の中に生きているからであって、色んな物事は日々移り変わっているのです。
 ただ気を付けたいのは、今回の都知事選はSNSなどを使った候補者が躍進して、それを支えたのが若年層と言う事なんです。
 SNSの世界にドップリ浸っていると、自分が閲覧しているサイト、居場所とでも言って良いと思いますが、それが正義になってしまい、周りが見えなくなる。
 要するに、比較対象をする事無く、これだ!と思う候補者のみ信じると言う事。
 これって、洗脳に近いとも言えまして、熱狂的な支援者というか、信者となってしまうんです。
 戦前のナチスドイツがそうだったように、洗脳や思い込みはとても怖いですので、どんな時であっても比較対象をする事を忘れないで欲しいです。
 さてと、現在午後5時半過ぎ。本日の麻賀多神社職員一同、疲れ果てております。
 本当に「さてと」と行った感じでして、みんな汗だくで頑張りました。
 この度、新社務所建設にあたって、境内西側にある神輿倉を解体する事に成りました。
 大神輿自体は昨年の御例祭後に、当社の氏子である岩渕薬品株式会社さんにお世話になり、同社の物流センターに異動してございます。
 また、付属品や祭礼に使用する道具は同センターや、神社役員宅の倉庫に保管をして頂いており、まだ整理が付いていないものに関して、今日の朝から作業をしました。
 粗方の物はと思っていましたが、倉本体と左右の倉庫には結構な量の物がありまして、それを一度全部出して、必要な物とそうで無いものに分別。
 物によっては、この50年くらい仕舞い放しの状態でして、埃は被りつつも鼠の寝床にはなっておりませんでした。
 久し振りに日の目を見た物に、大神輿の先代鳳凰があります。
 現在の鳳凰は平成13年(たぶん)に新調された物で、それ以前に使用していた鳳凰を倉から出して掃除しました。
 その木箱には「孔雀筥」と「別当 勝蔵」と書いており、木箱は紛れもなく江戸時代の物。
 江戸中期の佐倉の様子を記した「古今佐倉真佐子・ここんさくらまさご」には大神輿の製作状況や仕様まで詳しく記されております。
 そこには屋根の上に乗せるのは「孔雀」と記されているんです。
 なので木箱は間違いないのですが、先述したように実物はどう見ても鳳凰。
 享保6年に今の大神輿が作られてより、現在まで数回の修理が行なわれ、明治期には屋根の神紋も巴1つと卍2つから現在の巴3つに変更されるなど、大改修と仏教色を薄める作業が行なわれました。
 ここからは宮司の推測ですが、この明治期に行なわれた大修理の際に、孔雀が破損甚だしかったか、若しくは神輿には孔雀ではなく鳳凰という理由で取り替えられたのではないかと思うのです。
 これは先代の宮司も話していたことで、今回神輿倉を全てからにした状態でも、孔雀型は見つかりませんでした。
 どうにか午後5時の社務終了時に作業も完了出来て、明日以降は神輿倉より取りだしたものの搬出作業を行ないます。
 今週内には境内の一部が立ち入り禁止区域となり、見られた神輿倉も見納めに。
 ホッと一息ついたところで、途轍もない汗をかいたので、早めにお風呂へ入ると致しましょうか。