七峯の丘から

神輿倉解体 [令和6年7月10日]

「解体作業中です」
 日本海側で梅雨前線が悪戯というか、暴れているようで、島根県出雲市の日御碕地区では県道が崩落したと報道にありました。
 日御碕は岬の突端になりまして、そこには日御碕神社が鎮座しております。
 宮司は氏子総代旅行と家族旅行で2回お参りをさせて頂きました。
 その時通った県道が崩落した模様で、あの場所に行くにはこの県道しかないので、現在は孤立状態になっています。
 ただ、電気や水道は通じているということですが、食料や日常に服用している薬品の不足が気になります。
 海から運ぶのか、それともヘリコプターで空から運ぶのか。いずれにしても県道の復旧が待たれますね。
 今日も朝から暑かった佐倉。午後からは余計に蒸し暑くなってきましたが、スマートフォンの天気予報を見ると、晴れマークが続いていたのが、いつの間にか曇りと小さい傘マークが並ぶように変わっておりました。
 梅雨の復活なのかな。豪雨にならないことを願いますよね。
 いよいよですが、新社務所建設に伴う神輿倉解体の日がやって来ました。
 当社の神輿倉は土蔵作りで、両脇の袖倉は木造で後から付けられました。
 解体の前には新社務所建築予定地付近の低木の伐採が有り、本殿裏手に植栽してあった真榊数本と梅の木2本、そして椿も片付ける事に。
 生きているものに刃を入れるのは本当に忍びないです。真榊と梅は宮司に就任して5年くらい経った頃でしょうか、禰宜画伯と当時小学生だった智勇権禰宜と一緒に植えたもの。
 椿も神社にお手伝いに来てくれていた方が、ちょくちょく剪定をして綺麗な花を咲かせていました。
 伐採の後を見て本当に申し訳なく、真榊は玉串に取れるところを見繕って、最後まで大切に使わせて頂きます。
 神輿倉本体は屋根のトタン剥がしから始り、埃除けの水を掛けつつ重機で丁寧に解体していきました。
 そして残材はトラックに綺麗に積み込まれ、処分場へ進みます。
 宮司、午後から所用で小一時間ほど外出したのですが、JR佐倉駅近くで当社境内から搬出した残材のトラックが目の前を走って行った。
 お疲れ様というか、ありがとうというか、目頭が熱くなりました。うん、やっぱりありがとうだな。
 解体は神輿倉向かって右側の袖倉から始り本体へ。そして左袖倉へと進んで行ったのですが、実は左袖の天上板は芳名版が使われており、それは保存したいので手作業で解体してくれました。
 この芳名版については、後日に記したいと思いますが、色んな発見が有りびくりしました。
 今日一日で神輿倉の解体はほぼ完了で、明日からは残材の残りの撤去と、抜根作業に入るそうです。
 予定では今月末頃に地鎮祭が出来るかな。建設業者さんとの打ち合わせも実務的な話に移ってきました。

※ 新社務所本体建設に伴い、境内西側と本殿裏の一部が進入禁止エリアとなります。
皆さんには工事安全にご協力を、重ねてお願い致します。